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飄香の魅力

シェフ井桁良樹

『中國菜 老四川 飄香』のホームページにご訪問いただき、誠にありがとうございます。

オープンから13年が経ち、皆様からの温かいご支援のおかげもあり、メディア等で飄香についてお話しする機会も増えてきました。一方、私の主戦場は昔も今も変わらず厨房です。それ故、ご来店いただく皆様とは未だにゆっくりとお話しできないことを心苦しくも感じています。

そこでこのホームページでは、普段なかなかお話しできない飄香の秘密や、私が学んだ四川料理についての興味深いお話しをお届けしようと思っています。まずこのページでは、私自身と飄香のこれまでの歩みについて少しお話しさせてください。

1. 中華料理との出会い

1971年、千葉県で私は生まれました。父は電気工業会社で働き、母は洋裁を仕事にしていました。父も母も生粋の日本人で、中華料理との特別な繋がりはありませんでした。

料理への目覚めは早く、物心ついた頃から料理番組を見ては調味料について母親に質問していたそうです。そして小学生になると父や姉に料理を作るようになりました。小学4年生の文集には「将来の夢は野球選手かコック」と書いてありました。私は視力が弱い喘息持ちの少年でしたが、そんな私にとって料理は自分を一番上手に表現できる手段だったのでしょう。

1977年、小学校入学を記念して市西小学校の百年桜の前で。

料理への強い関心は中学生になっても失われることはなく、高校に入学してすぐに中華料理店でアルバイトを始めました。当時の私にとっては待望のアルバイトであり、これが本格的な中華料理との出会いになりました。特にこのお店のまかないでいただいた回鍋肉の美味しさは衝撃的で、私の人生を変えたと言っても過言ではありません。

アルバイトはたったの1年でしたが、辞める時はとても悲しく、私は思わず泣いてしまいました。そんな私の姿を見たシェフから「料理の世界に進みなさい」という声をかけていただきました。この言葉が「プロの料理人になる」という私の決意に繋がったのは言うまでもありません。

2. 日本での修行時代

高校卒業後、私は迷うことなく千葉調理師専門学校の中華コースに進みました。学んだのは1年間だけでしたが、ここで最初の師匠といえる斎藤文夫さんと出会いました。

斎藤さんは日本における四川料理の第一人者である陳健民・健一さん親子のお店『四川飯店』で腕を振るった名料理人です。料理学校の講師としてやってきた斎藤さんの話に感銘を受け、卒業してすぐに斎藤さんのお店で働き始めました。1989年のことです。

1991年、専門学校時代の恩師 斎藤さんのお店『岷江』での修行時代

斎藤さんのお店では8年間に渡って中華料理の経験を積む中で、私は柏市の『知味斎』に憧れを抱くようになりました。知味斎は千葉県を代表する中華の名店で、当時の私の実力では入るのが難しいお店です。しかし私の強い思いを知った斎藤さんが、わざわざ私を知味斎に紹介してくださり、晴れて知味斎で働くことができるようになりました。お店を辞める時まで面倒を見てくれた斎藤さんには、感謝の言葉しかありません。

知味斎が私の心を捉えたのは、食材に対するこだわりの強さです。知味斎は野菜を自らの畑で作るほどに、食材への強いこだわりを持っていました。またお店には多数の中国人が在籍しており、より本場に近い中華料理が学べると思いました。

知味斎では前菜を担当し、初めて自分で料理を作る立場になりました。そこからは何かに取り付かれたように、メニューのことばかり考えるようになりました。休みの日は食べ歩きをし、料理の専門書を読みふけりました。そんな毎日を送るうちに「中華料理を極めたい」という気持ちがどんどん強くなっていきました。

結局、憧れだった知味斎を3年で後にし、ゼロから再出発する覚悟で中国に渡ることを決意しました。既に私は29歳になっており、料理人としては決して若くない年齢でしたが、本場中国に対する強い思いはどうしても捨てきれませんでした。

3. 上海から成都へ

中国での修行にあたって、私は二つの準備をしました。一つは中国語です。しかし中国語はとても難しく、地域によって発音が大きく異なることもあって、残念ながら現地で流暢に話せるまでには至りませんでした。もう一つの準備は貯金です。私は中国に渡るまでに約300万円の貯金をしました。なぜ貯金にこだわったかというと、私がお店にお金を払って働こうと考えていたからです。

中国のお店の立場に立てば、いかに熱意と経験があるとはいっても、言葉もままならない日本人を雇うメリットはありません。賃金を支払うことを考えると、むしろデメリットの方が大きいと思われても仕方ありません。しかし私がお金を払うというのなら、話は変わります。少なくとも無駄な賃金を払うというお店側のリスクは避けられるわけです。せっかく中国に渡るのに、雇用条件や賃金のことで妥協したくはありませんでした。理想の環境で学ぶためには、自分の努力で取り除けるハードルはすべて取り除きたかったのです。だから貯金にこだわりました。

私がまず向かったのは成都ではなく上海でした。それは単純に働く伝手が上海にしかなかったからです。しかし今思えば、最初に上海を経験してよかったと思っています。上海の食文化で学んだことも多く、その一部は今の飄香のお店作りにも役立っています。そして何より、上海を知ったからこそ、四川料理の重厚さや奥深さを鮮明に理解できるようになりました。

2000年、上海『名城酒楼』での修業時代。
本場中国の味を吸収したくてひたすら食べ歩き、一番太っていた頃。

上海で1年間修行をしながら成都のお店との繋がりを作り、満を持して成都に乗り込んでいきました。成都で最初に修行したのは年配の料理人たちが働くホテルでした。厨房には現代的な調理器具もなく、皆とても手間がかかることをしていましたが、そこに息づいていた料理への向き合い方、考え方こそ、まさに成都で脈々と受け継がれている四川料理の伝統でした。この体験こそ、飄香の原点といえます。

2001年、四川『濱江飯店』での修業時代。お店のスタッフと。

2001年、四川『濱江飯店』での修業時代。厨房にて。

成都での1年間の修行を通じ、私は数百以上の料理を作ることができるようになりました。普通に考えれば短期間でこれだけの数のレシピを覚えることは不可能に近いでしょう。しかし私が成都で学んだのは個々の料理の作り方ではなく、「百菜百味(バイツァイバイウェイ)」といわれる料理のメカニズムでした。

伝統的な四川料理では、一つの素材を100通りに料理することが求められます。当然、素材本来の味を生かした完成度の高い料理であることは最低条件です。その厳しい基準をクリアするために、基本的な味付けの種類、調理の技法が確立してきました。これらと季節の食材を組み合わせることで、無限のレシピを生み出すことを可能にしているのです。この四川料理の技法を体系的にマスターできたことが、成都で修行したことの最大の成果でした。

成都の次は香港に渡りましたが、この時点で300万円あった持参金は7万円にまでなっていました。中国での修行もここまでだと思い、日本への帰国を決めました。2002年、31歳の時のことです。

4. 飄香の歩み

中国で貯金を使い果たしてしまった私はほとんど無一文の状態でした。そこでまずある中華料理店でお世話になりました。オーナーは私が中国で修行をしている時に声をかけてくれた方で、副料理長というとても良い待遇を与えていただきました。しかし本場の四川料理に魅せられた私はそれでは満足できず、自然と独立を考えるようになりました。一刻も早く独立しようと、本業以外にアルバイトも掛け持ちして開店資金を準備しました。

そこから約3年の準備期間を経た20054月、34歳の時に『中國菜 老四川 飄香』をオープンしました。

私にとって飄香は生計を立てる手段ではありません。アルバイトで食べた回鍋肉。斎藤文夫さんや知味斎で教わった本格的な中華料理。成都で味わった本場の四川料理。それらに出会ったときに私を震わせた感動や驚きを日本の皆さんにお伝えしたい。その想いを形にしたのが飄香です。私にとって飄香は自己表現の場なのです。

日本で中華料理店を営むのなら、餃子やエビチリ、チンジャオロースなど、日本人に馴染みが深い料理を提供した方が事業としては立ち上がりやすいでしょう。しかし私は「おなじみの中華」を出すつもりはありませんでした。オープンした飄香のメニューには、日本人には分からない料理ばかりが載っていました。日本人が知らない本場の四川料理で驚いてほしかったわけですから、私にとってこれは当然のことだったのです。

ありがたいことに、すぐにインターネットを中心に高い評価をいただくようになり、取材も増えていきました。2010年には銀座三越からもお誘いを受け、初めて本店以外のお店をオープンしました。そうすると欲が出てくるもので、料理だけでなく、店内のインテリアや器に至るまで徹底的にこだわり、四川省の空気や世界観をより間近に感じ取っていただきながら料理を食べてほしいと思うようになりました。

そうして2012年、本店を麻布十番に移転しました。商圏が全く異なり、数々の高級店が軒を連ねる麻布十番への移転は私にとって大きなチャレンジでした。しかしここでも多くのお客様のご支援もあって、今では飄香の顔としてすっかりと定着しました。

山を一つ乗り越えると次の山を目指したくなる私は、麻布十番本店が落ち着く頃には、「四川料理の由緒正しき継承者になりたい」という気持ちがどんどん大きくなっていきました。

実は、毎年のように訪れている本場成都でも、新しい料理の波が流れ込み、伝統的な四川料理が徐々に失われつつあります。彼らからすれば外国人であるはずの私がこんなことを思うのもおかしい話ですが、近年は「伝統的な四川料理を守らなければ」という危機感を抱くようになりました。

そんな思いに押され、20184月、伝統四川料理の流れをくむ老舗『松雲澤(ソンユンゼア)』を中心とする「松雲門派(ソンユンモンハ)」に弟子入りしました。実は最初に弟子入りを志願した時には断られ、その後何度手紙を出しても受け入れてもらえず、それでもどうしても松雲門派に入門したかった私は単身中国に渡り、アパートを借り、直接頼み込むことにしました。そこまでして、ようやく弟子入りがかないました。

一度受け入れると人情厚く迎えてくれるのが中国人です。休みの日には周辺の観光案内をしてくれるほどに親切にしていただきました。そうした数回の修行を終え、晴れて私は松雲門派の継承者として認められました。松雲門派の歴史の中で日本人が門下になるのは二人目ですが、現在日本で四川料理店を営んでいるのは私だけのようです。成都から遠く離れた日本で、四川料理の歴史と伝統を守るという使命が私に課せられました。

松雲門派の継承者に渡される盾

飄香に掲げられている「老四川」とは、「古い四川料理」という意味です。本場成都でも「老四川」の看板を掲げているお店は存在しますが、そういったお店が既製のオイスターソースやケチャップを使うことが当たり前になっています。しかし私は、カキの旨味が必要なら干しガキを使い、トマトの酸味が必要ならトマトから作ることにこだわっています。化学調味料もけっして使っていません。なぜならこれらはすべてかつての四川省には存在しなかったものだからです。こういったこだわりは、本場成都の老四川にも負けないと自負しています。

とはいえ、頑固に伝統を守るだけで人を魅了する美味しい料理が生まれるわけでもありません。飄香は日本のお店なわけですから、日本の食材や気候を考慮した臨機応変さも不可欠です。

例えば海がない四川省で魚料理といえば川魚が基本ですが、日本は豊富な海の幸に恵まれた国であり、これを活かさない手はありません。しかし、海魚と川魚では肉質などが異なり、同じように調理すると美味しさを損ねることが多いです。つまり、日本の恵まれた食材を使って伝統的な四川料理ならではの味と感動を再現するためには、時には手法に囚われない柔軟さが必要なわけです。「伝統を守り、柔軟に変える」というのは矛盾しやすくとても難しい課題ですが、この難しさこそが、私のモチベーションの源なのかもしれません。

正式な松雲門派の継承者となった私は、まず麻布十番本店のメニュー刷新に着手しました。201810月、器やサーブの仕方に至るまで本場のスタイルに合わせた、伝統四川料理における24の味付けを堪能できる新メニューをスタートさせました。麻布十番本店では松雲門派の伝統四川料理をストイックに追及する一方で、より多くの人に伝統四川料理を気軽に楽しんでいただく場として、『老四川 飄香小院』を六本木ヒルズにオープンしました。

2018年11月には私のレシピをまとめた『現代に生きる老四川』という書籍を出版しました。2019年にはプロ向けの料理教室を開く計画もあります。このように活動の場を広げながら、麻布、六本木、銀座の3店舗では、味もサービスもより一層の磨きをかけていきたいと思っています。伝統四川料理ならではの美味しさと驚きを、引き続き日本の皆様に提供していく所存です。

飄香の挑戦はまだまだ続きます。これからもご注目いただければ幸いです。

お店と料理

飄香のお店で伝統四川料理をお楽しみください

麻布十番本店のイメージ
  • 東京都港区麻布十番1-3-8 Fプラザ B1F
  • ランチ  11:30 ~ 15:00 (L.O. 14:00)
  • ディナー 18:00 ~ 23:00 (L.O. 21:30)
  • 定休日  月曜日、第1・3火曜日
六本木ヒルズ店のイメージ
  • 東京都港区六本木6丁目10-1
    六本木ヒルズ森タワーウェストウォーク 5F
  • ランチ  11:00 ~ 15:00 (L.O. 14:30)
  • ディナー 17:00 ~ 23:00 (L.O. 21:30)
  • 定休日  なし
銀座三越店のイメージ
  • 東京都中央区銀座4-6-16 銀座三越 12F
  • ランチ  11:00 ~ 16:00 (L.O. 15:30)
  • ディナー 17:00 ~ 23:00 (L.O. 21:30)日曜・連休最終日は営業時間を30分短縮
  • 定休日  銀座三越に準ずる

飄香の魅力

伝統四川料理を追求する飄香のこだわり